佐渡金銀山とは

Sado Gold and Silver Mine

撮影:西山芳一

日本海に浮かぶ島、佐渡。
その大きさは、855km²(東京23区の約1.4倍)と、離島としては日本第2位の面積を持つ島です。
佐渡には金、銀などを産出する55の鉱山があり、西三川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山など
島内のおもな鉱山を総称して「佐渡金銀山」とよんでいます。
佐渡金銀山は江戸時代からの400年間に金78トン、銀2,330トンを産出し、
日本最大の金銀山として国内外の経済に大きな影響を与えました。

西三川砂金山にしみかわさきんざん

西三川砂金山は、平安時代の「今昔物語集」にも登場したと推定される、佐渡最古の砂金山です。西三川では、「大流し(おおながし)」と呼ばれる砂金採取が行われました。集落周辺の山の各所に堤や水路、砂金を採るために山を掘り崩した痕跡が良好に残っています。

撮影:西山芳一

鶴子銀山つるしぎんざん

鶴子銀山は、1542(天文11)年に発見されたとされる佐渡最大の銀山です。600カ所以上の採掘の跡が確認され、時代の異なるさまざまな掘り方を見ることができます。また、鉛を使って鉱石から銀を取り出す灰吹法などの技術が石見銀山(いわみぎんざん[島根県太田市])からもたらされました。

撮影:西山芳一

相川金銀山あいかわきんぎんざん

相川金銀山は、江戸時代に本格的な開発が始まりました。大量に生産された金や銀は貨幣として利用され、国の財政を大きく支えました。
また、採掘から小判製造までが同じ場所で行われていた鉱山は国内でも佐渡だけであり、その工程を鮮やかに描いた鉱山絵巻が100点以上も残っています。

「佐渡国金銀山敷岡稼方図」新潟県立歴史博物館所蔵

鉱石から小判ができるまで

鉱山が育んだ暮らしと文化

佐渡の金銀山関連年表

西暦 年号 できごと
11世紀 平安時代 『今昔物語集』に能登の人が佐渡で金を採取したと記録される(西三川砂金山
15世紀 室町時代 世阿弥が佐渡に流され、『金島書』を書く
1542 天文11 鶴子銀山が発見される
1601 慶長6 相川金銀山が本格的に開発される
1603 慶長8 大久保長安が佐渡代官になる
1604 慶長9 佐渡奉行所がつくられる
1621 元和7 佐渡で小判の製造が始まる
1653 承応2 京都から水学宗甫が来島し、水上輪の作り方を伝える
1696 元禄9 延長約1kmの南沢疎水道が完成する
1758 宝暦8 佐渡奉行所に寄勝場が設置される
1868 明治元 イギリス人鉱山技師ガワ-が来島し、火薬発破法を伝える
1869 明治2 佐渡金銀山が明治政府直営の鉱山になる
1872 明治5 西三川砂金山が閉山する
1877 明治10 日本初の西洋式坑道である大立竪坑が完成する
1885 明治18 佐渡鉱山に大島高任が鉱山局長として赴任する
1889 明治22 佐渡鉱山が皇室財産となり、御料局の所管になる
1892 明治25 大間港が完成する
1896 明治29 佐渡鉱山が三菱に払い下げられる
1908 明治41 相川北沢に出力500kwの佐渡初の火力電力発電所が完成する
1915 大正4 戸地川第一発電所が建設される
1918 大正7 戸地川第二発電所が建設される
1940 昭和15 相川北沢に浮遊選鉱場が完成する
1946 昭和21 鶴子銀山が閉山する
1952 昭和27 佐渡鉱山の規模を縮小し、従業員を530人から49人にする
1989 平成元 佐渡鉱山が操業を休止する